救命病棟24時にみる人と人の繋がり
2005年3月2日
気がふれるとはこういうことかとここ数日やけに実感。
帰宅後、それまで外にいた自分が嘘かのように暗い。
やっべーかも俺。そんなに何かを背負ってるわけではないんだけど。
しかし、毎朝起きてから、眠いなぁと思いながらも今日も1日頑張るぞってな感じで体をほぐしてるくらいだからまだ大丈夫なのだろう。
この何日間はずっとこんな調子だ。
人との繋がりの大切さを感じる一方で、全く逆のことをしていたりとかなり荒れている。荒れているというのとは少し違う。なんというか冷ややかだ。なんつーかね、病んでる。
しかしながら研修はまあまあ面白い。後数回でもう会わないかもしれないが新しい出会いもあるし、少しづつ成長しているのが感じられるし、また新しい発見もある。中々有意義だ。正味、不安だらけだけど。仕事が分業で成り立っていることからも分かるように、どんな場面においても人は支えあって、助け合って生きている。って救命病棟見ながら毎回思う。繋がりの大切さを強く感じさせてくれる。
じゃあその逆のことはっていうと、メールというものについてなのだ。こいつは便利だがそのためにコミュニケーション不足を生んでいるものだとも思う。「遊ぼう」って送って返信がなくても直接断られてるわけじゃないからなんてことないみたいな、そんな感じで納得させてしまうツールだと思うのだ。ある意味放置プレイな。
というか、このフリはあまり必要なかったように思える。要するに俺は返していないのだ。
送る側にとっても送られる側にとっても便利なメールだけど、俺はどんなに返し辛いものでも返してた。けど、この前本当もう名前すら見たくない奴でメモリから消した人からメールがきてた。その内容もちょっと自分で調べればすぐ分かることなのに。だからもう返さなかった。気分は悪いがそれでいい。ついでにある人のメールも拒否った。メールだけ。電話はかかってこないと踏んでいる。メールが送れない。は?何こいつ?もういい。みたいな流れになると読んでいるのだ。調子がおかしいのはこれが原因。
ね、暗いでしょ俺。そんでガキでしょ。
そんな気分を吹き飛ばすべく映画を観た。こういうの好き。
寝るのも好き。俺の中で健康志向が高まっている。だから早く寝る。
明日も楽しみのために頑張るのだ。
帰宅後、それまで外にいた自分が嘘かのように暗い。
やっべーかも俺。そんなに何かを背負ってるわけではないんだけど。
しかし、毎朝起きてから、眠いなぁと思いながらも今日も1日頑張るぞってな感じで体をほぐしてるくらいだからまだ大丈夫なのだろう。
この何日間はずっとこんな調子だ。
人との繋がりの大切さを感じる一方で、全く逆のことをしていたりとかなり荒れている。荒れているというのとは少し違う。なんというか冷ややかだ。なんつーかね、病んでる。
しかしながら研修はまあまあ面白い。後数回でもう会わないかもしれないが新しい出会いもあるし、少しづつ成長しているのが感じられるし、また新しい発見もある。中々有意義だ。正味、不安だらけだけど。仕事が分業で成り立っていることからも分かるように、どんな場面においても人は支えあって、助け合って生きている。って救命病棟見ながら毎回思う。繋がりの大切さを強く感じさせてくれる。
じゃあその逆のことはっていうと、メールというものについてなのだ。こいつは便利だがそのためにコミュニケーション不足を生んでいるものだとも思う。「遊ぼう」って送って返信がなくても直接断られてるわけじゃないからなんてことないみたいな、そんな感じで納得させてしまうツールだと思うのだ。ある意味放置プレイな。
というか、このフリはあまり必要なかったように思える。要するに俺は返していないのだ。
送る側にとっても送られる側にとっても便利なメールだけど、俺はどんなに返し辛いものでも返してた。けど、この前本当もう名前すら見たくない奴でメモリから消した人からメールがきてた。その内容もちょっと自分で調べればすぐ分かることなのに。だからもう返さなかった。気分は悪いがそれでいい。ついでにある人のメールも拒否った。メールだけ。電話はかかってこないと踏んでいる。メールが送れない。は?何こいつ?もういい。みたいな流れになると読んでいるのだ。調子がおかしいのはこれが原因。
ね、暗いでしょ俺。そんでガキでしょ。
そんな気分を吹き飛ばすべく映画を観た。こういうの好き。
寝るのも好き。俺の中で健康志向が高まっている。だから早く寝る。
明日も楽しみのために頑張るのだ。
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